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親子の絆 第1話



「なあ、想子の夢ってなんだ?」
「……和彦さん、本気で言ってるのそれ。」

私は不機嫌そうに返事を返す。

「あ、いや…………外にもロクに出れないような状況で、そんなのあるわけないよな。」

父は私の返事を聞いて自分がまずいことを口走ったのに気付き、気まずそうな顔をする。
――――だが。

お父さん、違うよ。
そうじゃない。
そういう意味じゃないよ。

――――あの時の約束、忘れたの?

いや、あの約束を私がどう受け取ったか、お父さんは理解してくれてないよね。
もっとも、仮に理解していてもきっと素直に守ってくれない。
――――なら。

「済まないな想子。こんな気遣いも出来なくて。」

いいよ、もう。
――――だからね。
これからもっと私が頑張るね。
だからね、
お父さんが私にさせた約束なんだから、

私の夢、叶えてね。


    *      *      *      *      *      *


12月12日。
窓の外に映る空は、黒い雲に覆われている。
私の部屋から見えるの暗い世界は何だか不穏なものを感じさせた。
今日という日を迎え、私の心の中は不安と期待で胸がいっぱいだった。
しかしそんな心の中に渦巻き、抑えられない感情に身を任せ、ただひたすら大切な準備に没頭し続ける。
私と同い年の14歳なら今は中学校にいる時間だろう。
だが、不登校である私には、そんなこと関係のないことだった。
作業に没頭していると、突如耳に入ってきた規則的なアラーム音に、意識が引き上げられる。
午後3時15分に鳴るようあらかじめセットしておいた目覚まし時計だ。
ああ、いけない、もうこんな時間だ。 そろそろ、残りの夕食の材料買ってこないと。
私は作業をやめると、出かける準備を始める。
ちょっと廊下に出て気温を確認すると、まるで雪の銀世界のように、 澄み切った氷のような空気が肌にまとわりついた。
今日は冬に入って以来一番寒い日のようだ。
靴下、手袋、帽子に至るまで、私は出来うる限りの厚着をすると、買い物に出かけた。

外に出ると服に覆われておらず、まだ部屋の暖房のぬくもりが残った顔に、
冷たい冬の風が突き刺さった。空は曇っているので、冬の僅かに暖かな日の光すら浴びることが出来ない。
しかし、買い物をやめるわけにも行かない。
今日は大切な日なのだ。
彼女は寒風に耐えながら自転車を漕ぎ出した。

体が温まり、肌にやっと汗が滲み始めた頃、駅前の大型店についた。
向かったのは、1階の食料品売り場。
今日はいつもより、早めにやって来た。
何故なら今日の夕食は特別で準備に時間が掛かるからだ。
これと、これと、よし。
色々と歩き回り、目当ての夕食の食材を買い込んで行った。
レジに会計に向かう時、お菓子売り場の前を通った。
ショーケース越しに今日という日には欠かせないアレが見える。
しかし脇見はしたものの、そこで立ち止まることなくそのまま通り過ぎる。
そう、今年は買う必要がないのだから。
だって、ね。
今年は、あの人に私の手作りを食べさせてあげられるんだもの。
想像の世界に浸り、私の頬が自然と緩む。
しかし、その小さな幸せの時はすぐに終わりを告げた。
私の視線の先に、並んだ人でごったがえすレジが目に入ったからだ。
私は買い物する時に一番苦手なのは会計なのだ。
────会話しなきゃいけないかもしれないから。


    *      *      *      *      *      *


「3530円になります。」

私の危惧していたような事にはならず、緊張はしたが
無事にレジで山盛りの食材の会計を済ました。
そのまま、5、6歩進んだ時だろうか。
ふと違和感を感じ、手の平にあるお釣りを数えてみた。
確かお釣りは470円のはずなのだが、あるのは100円玉4枚と10円玉2枚。
あるはずの50円玉が足りない。
恐れていた事態が起きてしまった。
レジの人に言わなきゃ。
そこでレジの方を向き直ると、忙しそうに働く店員の姿と、列を作って待つ客の姿が目に入る。
その瞬間、私の心臓が大きく波打った。

50円足りませんって言ったら、待ってる他のお客さんに睨まれるかも。 いやそもそもレジの人もちゃんと50円払ってくれないかも。 どうしよう。どうしよう。どうしよう。 駄目かもしれない。
突然彼女の心の奥から現れた恐怖が様々な悪い想像を呼び起こし、交錯させ、たちまち思考を停止させる。
そして、店員に50円足りませんと言いに行こうとする彼女の体を店の外へ引っ張り出そうとするのだ。

言わなきゃ。
うちは家計が楽じゃないんだから。でもやっぱり50円くらい損したって。駄目言わなきゃ。
家計を預っているのは私なんだから。でも、そんなこと店員に言うのも。
やっぱり50円くらい────
「……ぁ…………ぁぁ……」

私はレジへ向かおうとする考えが浮かべばたちまち逆の考えが浮かび、帰ろうとすれば逆の考えが────
頭の中に浮かぶ二つの考えに双方から引っ張られて、私に出来るのはただ右往左往することだけだった。


    *      *      *      *      *      *


店の自動ドアが開かれると、既に辺りは夕闇に覆われつつあった。
私は自転車置き場まで行き、自分の自転車を見つけると、そこで動きが止まった。
暗くなったためか、家を出た時よりも益々強い寒風が私の履いているジーンズと
さらにその下のジャージすら通り越して、立ち尽くしている私の体温を奪っていく。

結局、何も言わずに出てきてしまった。
まただ。
また、いつもの対人恐怖症だ。
いつも人がどう思うか。
相手に否定されるんじゃないのか。
否定されたらどうしよう。
一体どうすれば。
そんなことが瞬き程の間に頭を駆け巡り、すぐにパニックに陥ってしまって、
まともな思考が出来なくなってしまう。
なんで、私はこんな簡単なことも出来ないのだろう。
私の目から僅かに涙が零れ落ちた。

────早く、家に帰ろう。

大丈夫。
あの人の傍に居れば大丈夫。
私が安心出来る人はあの人だけなのだから。

既に夕闇に覆われつつあり、
私はかじかむ手でゆっくりと自転車の鍵を外すと、ぬくもりを求めて私は帰るべき終の居場所に戻る。


    *      *      *      *      *      *


他に買った食材を持って家路に着くと、暗く鬱屈とした気持ちも忘れることが出来た。 買ってきた食材を台所の前に並べ目で確認したため、 これからあの人に私の料理を食べてもらって喜んでもらう未来が、鮮明に頭に浮かんだからだ。 私は気分を取り直して夕食の準備にかかる。
ある程度の食材はもう昼までに既に調理してあるが、残りの料理も
割と手間がかかるので 早目に終わらせなければならない。
しかし、時間に余裕を持って作り始めたせいか、思いのほか早くに出来上がり、
今日の父が帰ってくるはずの時間である7時にはまだ早かった。
そうだ、せっかくだからもっと用意しよう。
私の愛情がたっぷりこもった、最高の調味料を。
買い物に行く前にだいぶ集められたけど、出来るだけ、新鮮なほうがいいもの。
新しいほうは、生で味わってもらおう。

想子が他に誰も居ない台所でその作業に没頭し続け疲れきった所、丁度その時間になる。
部屋にある電話が鳴った。
私は電話に駆け寄ると、電話番号を確認する。 お父さんだ!
お父さんが帰ってきたんだ!

私は急いで受話器を取った。

「ただいま。」

この声────間違いない。

「今、開けるね。」

私は受話器から離れると、部屋を出て、玄関に向かう。
廊下を進んでいる間、心臓の鼓動が少しずつ上がっていく。
あの人と暮らしてもう何年になるだろう。
しかし、私は思春期の女の子が初恋の人に話しかけるように、
いや、これでは例えになっていないのだが、
ともかく未だにこの感覚が消えることは無い。
つい早足になり、廊下にドタドタとやかましい足音が響く。
元々私は臆病な性格だけれど、あの人の事だと緊張するのに、凄く積極的にもなれる。
だってこの緊張の源は、私のあの人への想いによるものなのだから。
玄関のドアの前に来ると、ゆっくりと深呼吸。
よしっ。
覚悟を決めると、鍵を外し、ドアを開けた。

「和彦さん、お帰りなさい」


    *      *      *      *      *      *


俺は玄関の前で携帯を取り出し、家の電話に連絡した。
家の鍵は一応持ってはいるのだが、基本的には使わない。
玄関のドアはあの子が家の中に居るならば、いつも俺が電話で連絡をとった上で
内側から開けてもらう。
一応インターホンは存在するものの、これも使わない。
俺が使わない以上、インターホンを押すのは俺以外の人間だからだ。
連絡して数秒経つと、こちらにドタドタと騒々しい足音が近づき、
玄関の鍵がカチッと小気味よい音を立て外される。
そして一呼吸分程の間を置いて、ドアが大きく開かれた。

「和彦さん、お帰りなさい」

目の前に現れたのは、お帰りなさいと言いながら
丁寧なお辞儀をして俺を出迎える女の子。
コンタクトではなく眼鏡をかけ、髪もボサッとしていて、
その服装や髪型などは、本人の地味な性格が人目で見て取れるものだった。
しかし、この娘は世間一般より整っている顔を持っていて、
あの地味な服装や髪型でも、いや、むしろあの地味な格好と合わせることで
独特な魅力、地味な印象ならではの俺好みなかわいらしさを持っていた。
────彼女は今年14歳になる俺の娘、斉藤想子だ。
あくまで法律上、形式上の話ではあるが。 そんな彼女の顔に、上機嫌なのかいつもの控えめな微笑みとは若干違う、
興奮を隠しきれないような表情が広がった。


玄関の前で出迎えられた人物の名は想子の父親である、斉藤和彦。
所轄署の刑事だ。
和彦は高校卒業してすぐに警察に就職した後、
彼が持っていた犯罪に対する勘の良さを生かし高い検挙率を上げ、
ヒラの警官からは滅多に成ることが出来ない刑事にまで登りつめた。
このことから、彼は能力的には警察に向いていたことが明らかだろう。
しかし警察の仕事は職業柄、社会の矛盾に強く直面する仕事だ。
人権なんて必要ないような犯罪者が暴れても無傷で捕らえなければならない。
役員(警察官僚)の天下り先の収入のために、
どうでもいい交通違反の取締りを行い、課せられたノルマを満たさなければならない。
冤罪の可能性が高そうな人物を無理矢理自白させたりすることもある。
彼は警察に入って以来このような様々な経験をしてきた。
そしてこれらは和彦の性格では非常に耐えがたいことだった。
そのため、常々この仕事が向いてないんじゃないかと考え続けていたのだ。
だが、今更この歳で転職した所で今の800万近い年収に匹敵するような仕事にありつけるわけもない。
それに少なくともこの仕事を続ける限り天性の才能である勘の良さを生かすことも出来る。
何より、上にあまり睨まれない程度になら、彼の嫌悪する柄の悪い犯罪者を
いびることも可能なこの仕事から離れることは出来ず、
彼に出来るのは矛盾を抱えつつも、日々の仕事をこなし続けることだけだった。
そうやって、今日も悩みに苛まれる重い体を引きずりながら、帰路に着く。
そんな和彦も、いつも想子の笑顔に出迎えられた瞬間は心にしばしの安息がもたらされた。
────だがしかし。
最近はそんな想子の笑顔も彼を苛むようになりつつあった。


    *      *      *      *      *      *


俺は想子の指示で、洗面所で手を洗いうがいを済ます。
その後、想子に俺の自室に連れて行かれ、 呼びに来るまで待っているように念を押された。
そんな想子の不可解な行動には首をかしげたが、こうしていても仕方が無い。
俺はとりあえずすることもないので、机のPCを起動させTVを見ることにした。
最初に映ったニュース番組をしばらくの間眺め続け、
最近人気のフィギアスケートの美少女の特集が始まった所で
こちらの部屋に足音が近づいてきた。
きっと想子が呼びに来たのだろう。
ドアがノックされ、想子が部屋の中に入ってきた。

「あの……和彦さん。準備出来たから一緒に来てくれる?」
「ん、ああ。ちょっと待っててくれ。今、観たいテレビやってるから。」
「え。観たいテレビって……」
俺は想子の方を向かずにそっけない返事を返す。
この次の特集で流れるはずの柔道の試合で、ちょっと観たい所があったからだ。
それで、多分もう少しでこのフィギアスケート美少女の特集は終わりそうであったので、
5、6分くらいなら想子を待たせてニュースを観続けてもいいだろうと考えたのだ。

「……和彦さん、早く来て。」

想子がその女の子らしい小さな手で俺の腕をぎゅっと握り締め、ぐいぐいと引っ張ってきた。
「悪い、もうちょっとだけ待ってくれ。」
俺はそれでも、先程と変わらずそっけない返事でテレビを観続けた。
あと、数分。
数分だけだ。
それにしても、随分と長い間、この美少女フィギアスケート選手の映像を
流し続けている気がする。
まあ、こんな美少女が前傾姿勢でかわいい尻を惜しげもなく披露しながら滑っているのだ。
こんなエロい映像なら視聴率も取れるだろうし、長く放送するのも頷ける。
しかしこちらとしては、早く柔道の試合を────


めりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめり


痛い、痛い、痛い!
爪がめり込んでる、めり込んでる!
想子が腕を引っ張っていた手を、肉食獣の如く指を立て爪をめり込ませた上で、握り締める。

「………………和彦さん。」
「わ、わかったわかった。今行く!」
想子のドスの利いた声と表情に俺は気圧された。
マウスを動かし、Windows終了の操作をしようとするが、最近調子がわるいためか中々反応しない。
しかし、何で急に怒ってるんだ?
部屋に入ってきたときは怒ってなかったのだから、
待たせたことしか怒らせた原因は考えられないが、それにしてもいきなりすぎる。
待たせただけで、こんなに怒ったことなんてあっただろうか。
想子の口癖は「……私にどうして欲しいの?……何でも言って」であり、
ことあるごとに俺の希望を聞き、自分から進んで従おうととするのが普段の想子の姿だ。
そのような性格なのに、今回のようにたまに意味不明な癇癪を起こすときがあるのだ。
例えば、つい2週間程前の夕食後に想子が弁当箱を洗おうとした時だ。

「あれ……和彦さん。お弁当少し残ってるけど、どうしたの。」
「ああ、ごめん。今日ちょっと腹いっぱいでね。」
「…………ううん。気にする必要ないよ。ちょっと残念だけど。……何か出前でも食べたい時もあるよね。」
「いや最近うちの課に入った若い娘が、今日食欲がないからって作ってきたおにぎりを2個くれたんだ。
 たまには塩が濃い目のおにぎりも旨いもんだな。今度作って────
 ん?どうした、そんな急にしかめっつらして。」
「────和彦さん。私が毎日お弁当作ってるんだからちゃんと私のお弁当を食べて。
 ちゃんと朝昼晩3食の栄養のバランスだって計算してるんだよ。
 そんなの食べたら栄養のバランス崩しちゃうよ。健康崩しちゃうよ。病気になっちゃうよ。
 働けなくなっちゃうよ。そうしたらどうやって私を育てるの!?」

こんあ具合にさんざん問い詰められてしまった。
よく女心は秋空の如く変わりやすく男には理解出来ないというが、正にその通りだ。
まったくなにがなんだかわからない。
一体何が原因なんだ?

────お父さん、なんで……なんで、あんな淫売をそんな表情でじっと見つめてるの。

想子が小声で何か愚痴をこぼしたようだが、聞き取ることは出来なかった。
ただ、動作が重く中々操作できなかった状態を脱し、
やっとシャットダウンをOKした終了寸前の画面で、画面の中の美少女は、
こっちの事情などおかまいなしと言わんばかりのとびきり笑顔で微笑んでい────


めりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめり
めりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめりめり


今度は両手!?
痛い、痛い、痛い!


    *      *      *      *      *      *


あー、痛。
計15箇所の爪の痕の出来上がりだ。
まあそんなに深くないから消毒の必要はないだろう。
想子は舐めてあげるって言ってたけど、もちろん却下。
そんなことされたら────頼むから勘弁してくれ。
こんなこと平然と言うなんて、想子はその地味な印象通り、同世代の女の子と比べ
そういう知識がやはり欠けているのだろうか?

俺がそんなことを考えながら想子に招かれキッチンの前まで来た時、あることに気付いた。
曇りガラスの嵌ったドアからは、電気の点いていない暗い部屋の様子が見てとれるのだが、
何故かテーブル付近のほうにぼんやりとした光点が見えるのだ。

「……部屋は暗いから気をつけてね。あ、電気はつけちゃ駄目だよ。
 さあ和彦さん、どうぞ……。」

目の前のテーブルに広がる光景に驚いた。
名前はよくわからないが、クリスマスらしい様々な彩り豊かな料理の数々が並んでいるからだ。
ああ、目の前の料理に関しては多分知っている。
えーと、なんだっけ、七面鳥の丸焼き。だったかな?
とまあ、それはともかくなにより目を引いたのは真ん中にあるケーキだ。
その上に林立する数十個の蝋燭に灯った光が、本来ならば蛍光灯の輝く白い光が
鮮明に照らし出しているはずの部屋の中を、ぼんやりと暖かな色に照らし出しているからだ。
しかし、おかしい。
今日は12月の、確か11日。
クリスマスにはまだ早いはずなのだ。

「どうしたんだ、一体?」
「……これを見てわからないの?」

想子は俺の戸惑う様子を見てクスッと笑いをこぼすと、
心を奪われているようにこちらをうっとりと見つめてきた。
その表情を見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ねる。

「……和彦さん、お誕生日おめでとう。
 ……いつも私のためにご苦労様。
 今日は和彦さんの35歳の誕生日だよ。」


あ、ああ、俺の誕生パーティだった、のか。
そういえば、去年も料理を作って祝ってくれた、よな。

「……はい、一彦さん。席に着いて下さい。」

想子はいつも俺が座る椅子を後ろに引いた。
言われるがままに、席に着く。

「……ケーキはね、今年は私が作ったんだよ。いっぱい食べてね?
 ……あの、もしかしたら出来が悪いかもしれないけどその時は……許してね?」

俺の歳の分だけ刺さっているのだろうか。
剣山を想起させる、大量の蝋燭が刺さった不恰好なケーキの前で
こちらを見て少し不安そうに微笑む想子。
その暖かな視線に見守られ、俺は期待に胸を膨らませる。
きっと、今夜は楽しい夕食になりそうだ。

…………ところで俺って、もしかしてこの大量の蝋燭を
全部一息で吹き消さないといけないんだろうか。


    *      *      *      *      *      *


俺は七面鳥を犬歯で引き裂き奥歯で磨り潰し
口の中へ溶け出す脂っこい豊潤な肉汁に舌鼓を打ち、その合間に酒を飲む。
想子はそんなこちらの姿を、ただ嬉しそうに見つめながら
話しかけてくる。

ちなみに蝋燭を吹き消す件については、蝋燭の灯りの方が
電気をつけるより雰囲気が出るという想子の意見で、
蝋燭は一息で吹き消さずにすんだ。
昔なら可能だったかもしれないが、最近は体力が落ち気味で
正直自信が無かったのでホッとしたのは秘密だ。
それにしても、さっきからどの料理も一通り食べてみたがどれも本当に格別な味だ。
学校の家庭科でやった内容しか出来ないような、想子が家事をやり始めた頃から比べれば、
よくぞここまで成長したものだ。
仮に不味かったとしても、何時間もまな板の上で食材を切り分ける姿、
何度も味見を繰り返してもそれでもはっきりと自信が持てずにいる姿。
そんな準備に相当苦労する姿がありありと脳裏に思い浮かぶ、壮観な料理の数々だ。
これを見ているだけでも本当に嬉しくなる。

だが、 今度はそれゆえに想子に申し訳ない気持ちが、ふと頭に浮かんだ。
それはアルコールによって、ますます増幅され、体全体を包みこみ、
俺の気持ちを徐々に沈めていった。

「それでね…………ん、和彦さん?どうしたの……?」

だからだろう。こんなことを口走ったのは。

「いつもすまないな。俺、想子に迷惑かけてばかりだ。」


    *      *      *      *      *      *


この子は本当に立派な子だ。
母親が出て行った今、母親がこなすべき家事全般をやってくれる。
引っ込み思案だから口には出さないのかもしれないが、
俺を憎んでもいいのに、こんなにも俺を慕ってくれる。
それとも、俺の事を他の誰よりも慕ってるのは間違いないとはいえ、
形式上の義理の親である俺を完全に心から信用していないので、
嫌われないようにご機嫌を取ろうとしているのだろうか。
少なくとも、あんな事件を起こす脳味噌を持った奴は
我ながらあまり係わり合いにはなりたくない。
ましてや怖がりのこの子では、俺に対してどこか怯えていてもおかしくないだろう。
どちらにしろ、俺はこの子に迷惑をかけっ放しだ。
例え、あんなことをしでかし、世間には自慢できない娘だろうと、
むしろそんなところが何よりも素晴らしい、俺にとってはかけがえの無いものだ。
しかし、その俺はこの子に酷い目に合わせてしまった。

俺の血は汚れている。
俺の両親は最悪な人間だった。
思い出すと、今でも沸きあがる怒りを抑えきれない。
父も母も自己中心で無責任でアル中。
子供の頃から、暴力を振るわれること珍しくなかった。
もっとも、今はもうどこにもいない。
高校を卒業して、俺が警察官になる前に、
二人が乗った自家用車が、トラックと交通事故を起こしたのだ。
そのまま潰されてしまい、遺体もろくに残らなかった。
何とかして、報復してやろうとはずっと思ってはいたが、
こんな形で亡くなるとは思わず、喜びも多少なりともあったものの、
復讐の機会を奪われた行き場のない悔しさで、
やるせない気持ちをその後の人生で、ずっと抱えることになった。

その後、最初の妻と出会い、結婚して娘の明海が出来た。
明海はすくすくと成長したが、
彼女が中学生になった頃、またしても
妻が交通事故に遭い失くなってしまった。
その後、結婚紹介所に登録して、見合いをし、
結婚したのが二番目の妻、泰子だ。
泰子は基本的に博愛主義者のような人間で、ボランティアなどが好きな、
誰にも優しい人間だった。
彼女にも11歳になる連れ子がおり、その子が今、俺の目の前にいる想子だった。
想子は人見知りな性格で、俺は余り信頼されているようには見えず、
いつも泰子にべったりであった。
とはいえ、露骨に俺を嫌うことも無かったし、
最初のうちは家庭生活は順調に行っているように見えた。
少なくとも俺の目には。
しかしこの二番目の家庭で、ずっと俺が気が付かなかった
明海の本性に気付かされることになる。

ある日、泰子から相談された。
学校から連絡があり、明海がリーダーとしていじめを行っていたと。
こんな連絡は初めてだった。
そのことで、俺と泰子は彼女を厳しく叱った。
その叱っている最中に、初めて想子が口を開いた。
明海に両親が見ていない所で暴力を振るわれている、
私達に喋るなと明海に脅されていた、と。
初めて聞いた時は、心当たりがあった。
明海は多少わがままを言うことも多い子であり、その片鱗を見たりする機会は少なからずあった。
しかし、前の家族は基本的には夫婦とも共働きだった上、
今のように虐めるのにちょうど良い明海より年が低く弱者である
妹がいたわけではないので、はっきりと目にする機会はなかった。
だから、両親のいないところでそんなことをしているとは知らなかったのだ。
しかし、今の結婚生活が始まったあとも、たびたび、おかしな光景を見たことがある。
想子が明海に小突いてるようなこともあった。
明海が想子に命令をし、怯えているような表情で承諾していた想子の姿を見たこともあった。
そのたびにもしかするととは思ったが、今まで前の家族に居た時はそういう行動を目にすることも
無かったし、きっと気のせいだろう。
そう楽観視していた。

しかし、明海がいじめをしていたという話しと、
この時の想子の告白を聞いて、俺は初めて気付かされた。
自分の血を分けた子は、自分のあの両親と同類の人間ではないか。
最も俺が憎んでいる、弱者を躊躇無く虐げる、
そういう種類の人間かもしれない、と。
そのことに気付いた俺は、明海を叱った後、一計を講じた。

まず、学校へ赴き、詳しい状況を聞いた。
そして、被害者の家に赴き、虐められていた子と親に対して謝り、詳しい状況について聞いた。
さらに今度は、監視カメラのことについて勉強し、それを家族に知られぬよう家中に設置したのだ。
何故そんなことをしたのか。
それは、厳しく叱った程度で明海がやめるわけがない、という確信があったからだ。

設置して一週間後の日曜日、想子が元気のない姿で居る所を発見し、何かあったと思い
すぐに俺の部屋で昨日の両親が居なかった時間に録画した監視カメラの映像に目を通した。
20分程早送りでチェックしていると、予想通りの結果が見つかった。
明海が想子の腹を殴り、うずくまる想子に対して、怒鳴る姿だった。

「何、チクッてんのよ!
 あんたがいつもグチグチとしてるから悪いんじゃない!
 いい、想子?あんたこの家からは逃げられないのよ。
 チクる度に、何度でもこうしてやる!」

どんなことをしても自分が正しいと疑わず
顔をぐちゃぐちゃに醜く歪ませながら、怒鳴り散らす明海の表情は
俺の両親そのものだった。

────お前のような人間だけは決して許せない。 ”俺達”の恨みを思い知れ。

俺は予定通りに行動を起こした。

「ぎゃあああああああああ!!!痛いよお!!」

この日、俺は想子の目の前で、明海の腕を折った。
凄く晴れやかな気分だった。


    *      *      *      *      *      *


人間は変わらない。時が経とうとも環境が変わろうとも、本人なりにしか変わらない。
これが、俺の考えだ。
学校で明海に虐められていた被害者に聞いてきた所によると、
明海は虐めを前の妻がいた時、小学生の頃から何年にも渡っておこなっていたらしい。
ならば、新しい家族に馴染めず、ストレスが溜まったせいなどといったレベルではない。
明海は恒常的にいじめをおこなっていた。
さらに、あの録画を見て、ついにはっきりと確信した。

明海は俺の両親と同様の人間だ。
どうにもならないほど、芯まで腐っている。
ならば誰が学校で虐められた子や、あの子、想子を守るんだ。
想子が報復できないのならば、誰がやる。
俺しかいない。明海の実の父である俺が責任をとらなければ。
そして、その方法はひとつしかない。
徹底的な制裁を加え、植えつけられた恐怖から
二度とやる気が起こらないようにすることだ。
これは実の親である俺の責務である、そう思った。

しかし、これは理由の半分。
本当の理由は、復讐心だった。
俺の両親の血を引く実の娘が、想子に虐待を加えていた。
そのことで、俺は想子に昔の自分を重ね、そして明海に対してあの両親を重ねたのだ。
心の中に渦巻いていた憎しみに身を任せ、俺は行動した。
昔果たせなかった、想子という過去の自分を守り、そして復讐を果たすため、
俺は、今は自分より弱者である明海という名の両親に報復したのだ。
何せ明海の腕を折った時、例えようのない興奮に包まれていた。
それは今の妻との夜の営み等とは比べようもなく、

────そう。
まるで拾ってきた成人誌で必死に初めての自慰をした時に感じたオーガズムのような、
天にも昇る心地良さだった。

このことが、離婚のきっかけとなった。

妻の泰子は、話せばわかる、どんな人でもいいところはあるのだから
犯罪者だってきっと更生できる。そういう信念の持ち主だった。
そのため、彼女は俺のやった制裁をさんざん非難した。
対して、俺は人間は変わらない。更生の余地がある人間で無い限り、生かしておくだけ無駄だ。
そうでなきゃ苦しみ続けた被害者が救われない、というのが信念である。
見合いという、互いを詳しく知る時間の欠けた上での結婚のせいもあったのだろう。
お互いに頑固者である。
ここに来て夫婦の信念が決定的に対立するに至った。
そしてさらに事件の後、あの引っ込み事案でいつも泰子にくっついていた想子が
実の母である泰子に冷たくなり、義理の父である俺をひたすら慕うようになった。
あの時のことで、俺が泰子に代わり想子の信頼を得たのかもしれない。
しかし、これが泰子にとっては、実の娘に自分を否定されたように感じたらしく、
彼女に離婚を決意させる引き金になった。

「明海は私が育てます。
 きっといい子に育てて見せますから。
 絶対に正しいのは私の方です。
 あなたは想子だけを守っていればいいわ。」

かくして、二番目の妻は俺の実の娘を連れ出て行き、家には俺と義理の娘だけが残された。
そして、俺は誓った。
かつての自分である、この娘だけは何としても守らねばならない、と。


    *      *      *      *      *      *


その時、俺は想子に言い聞かせた。

「想子これからは俺を、お父さんって呼ぶのをやめてくれ。
 そんな資格は俺には無いし、俺には胸を張って想子の家族と言える自信が無い。
 何よりその呼び方じゃ、想子が俺の実の娘のように思えて、
 明海や俺の両親そして俺と同じ血を持ってるようで嫌なんだ。」

「どうしてそんなこと言うの?
 お父さんは私のお父さんなのが嫌だって言うの?
 私はお母さんが居なくたっていい!
 お父さんは私の家族だよ!
 他の誰も私の事を大切にしてくれない!
 そんなの嫌!お願い!見捨てないで見捨てないで見捨てないで見捨てないで!
 私を見捨てないでぇぇぇ…………!」

既に俺を慕うようになった想子は、
俺の言った事を自分を見捨てようとしているのではないかと捉えたらしく、
おとなしい普段の姿からは想像できないような大声で泣き喚いた。
その姿はまるで、明海が生まれた時のことを思い起こさせた。
しかし、俺はそんな痛ましい姿にも構わずに話を続けた。

「違う、想子。
 お前が悪いんじゃないんだ。
 明海の件でわかった。
 明海も、 俺の両親も、 もしかしたら俺自身も。
 俺の一族はろくな奴がいない。
 俺の両親も最低な人間だった。
 明海もあんな人間に育った。
 そして、俺も明海の腕を折った時、親としての義務感だけじゃなく、
 俺を苦しめた両親への復讐心に身を任せてやった。
 かつての両親の立場に今度は俺がなったんだ。
 俺も、明海や俺の両親と同じ血を持っているだけに、
 同じような人間なのかもな。
 もう手遅れだが、俺以外が父親なら明海もあんな風にならなかったかもしれない。
 だが。」

俺は想子の方をしっかり掴み、真っ直ぐ瞳を見据えた。
そして、ありったけの誠意を込めて話しかける。

「これだけは覚えていてくれ。
 例え俺のせいだとしても、ああなった以上、
 やはり俺は明海に制裁を加えたことを後悔していない。
 自分が潰すことが出来る相手なのに、あんな人間をのうのうと
 放置しておくことは我慢できない。
 価値ある人間は想子の方だ。
 俺は明海のようなゴミが想子のような子を被害者にしたことが、絶対に許せない。
 その責任は実の父親である俺の責任だ。
 だから、俺は想子を誰よりも守りたい。
 そして、お前を立派に育ててみせる。
 お前を絶対に見捨てない。
 お前を必ず守ってみせる。
 お前は俺をいくらでも恨んでかまわない。
 だからその代わり、自分勝手なお願いだが約束してくれ。
 お前は”俺の望む”人間に育って、あんな明海のようにならないで欲しい。」

嗚咽を出しながら泣き続けていた想子はここまで聞くと、
やっと自分が見捨てられたわけじゃないということを理解したらしく、
またあの事件の時から、俺に見せてくれるようになった元の笑顔に戻ってくれた。
もっとも呼び方を変えることには中々賛同してくれなかったが、
この頼みも結局承諾してくれた。

「……わかったよ。
 私はお父さんって呼びたいけど、そんなに呼ばれるのが嫌なら仕方ないね。
 これからは『和彦さん』って呼ぶね……?
 でもね、私はお父さ……あ、えっと、和彦さん。
 和彦さんがひどい人なんて思ってないし、恨んでないよ。
 和彦さんがどう思おうと、私の唯一の家族は和彦さんだけだから……。
 ……だから、自分を見下さないで。
 私、和彦さんのこと、世界中の誰よりも信じているから……。
 だから、その約束、私ちゃんと守るからね。
 私和彦さんの望みなら何でもするよ……。
 私は必ず”和彦さんの望む通りの女の子”になるから、
 だから、お願い────」

想子は赤面した表情でゆっくりと俺に向かって倒れこみ、
折れてしまいそうな軽い体をトスンと俺の胸に預けると、
俺を上目遣いで見つめた。

「和彦さんも必ずこの約束を守ってね。
 あの時と同じように、
 ずっと、 ずっと、 ずっと、
 いつまでも、
 私が大人になっても、
 何があっても
 私の傍で、
 私だけを。
 いつも守って、  絶対に見捨てず、
 和彦さん好みに躾けて、
 私を”和彦さんの望み通りの娘”にしてね。
 ……裏切ったら、許さないから。
 …………和彦さん。」


「幸せな家族作ろうね。」


スレ投下時との修正点

タイトルを変更
主人公の名前を一彦から和彦に変更。
スレ内での話題にヒントを得、主人公の職業を刑事に変更。
想子の容姿の描写を追加。
新たに加筆。
その他、誤字、脱字をある程度修正。